あなたの愛情って、どれくらい?

 しばらくぶりになってしまいました。途中途中ちょっと事情があって忙しかったりしましたが、書くことないよなぁっていうのが本音のところでありまして。いろいろ残してはおきたいんですけども。
 まぁ大学が始まって一カ月ですが徐々にだれてきたり授業行きたくないって言ってみたり至極普通の大学生生活を送っております。今学期はコマ数もだいぶ減ったはずなのにそこまで快適ではありませんね。英語の授業が気持ちいいぐらいに僕の劣等感をかきたててくれたりするからでしょうか。そうそう、未だ迷走を続けている僕ですが今学期になってから読書会というものに混ぜてもらったりして、少しは真面目に本を読むようになりました。これを成長と呼ぶかは判断しかねます。

 話は変わりまして、先日とある人のお話を聞いてきたのですが、「その場の話を聞いた限りにおいて」自分に近いものを感じました。まぁちょっとした若者代表みたいな考え方、という感じでそこでは扱われていましたがそれが自分のことを言われているかのようでした。当事者意識のなさだったり、自分の節々に見られる類のものです。しかし、どこか腑に落ちない。なぜか。最後に、一言質問してきました。「今の問題意識はどこにありますか?」と。その方は、ビジネス方面ということをおっしゃった。そうだ、やはりそうだ。その方の一面的な表象だけを見て判断を下すところでした。そもそも当たり前のことですが、自分と近いような考えの人が人前に立って話をするわけがないのです。

 思うに自分には何かを成すだとかそういった問題意識がない。また、願望の強度も存在していない。あらゆる方面において、その方がいいけどそうじゃなくてもいいというようなことばかりなんですね。いつからか曖昧になってしまい、何かを欲するという感覚が自分の中でとらえどころのないものになっているのです。情けない限りで、欲しないことはいくらでもあるのに欲することがあまり見つからない。学問上でも同様です。関心はあるが所詮それ止まりで、自分で何かをしようという気にはならない。いや、なれない。何かを求めようという発想がない。からっぽなのでなく、容器そのものが見当たらないのです。

 それが自分の限界なのかはまだ決めたくはないです。それをある程度見定めるのがこれから、前期過程でなすことかなぁと。今より形を伴えばよし、いやしかしどの程度まで。

 今は特別に悩みごとみたいなものはないんですよね。進路もまぁ決まってはいませんが特に考え込んでる節もありません。現状に満足しているかと言われるときっぱりNoと答えそうですが。これも幸福感の高い現代の若者に特有のようなもんでしょうか。僕は常に自分を中心に置いてしまい、特別周りがどうこうみたいな話はないし、つまずくのはほとんど自分の中においてのみです。つまるところ全てマスターベーションのようなものです。何にもならない手慰みでしかない。満足しないのも、必要に迫られることがないと思っているからか自分でそれをどうこうする気もない。格好をつけて見栄えを作り出し、自分を偽っているのか。自分の中の美意識がそれを許さないのか。むなしさが募ってゆくばかりですが、そんなものいらないんですよね。終わりにして、ありのままに、単純に、捉えていけばよいだけなのだ。何もしないで御託を並べるぐらいなら、そんな口はいっそ塞いでしまえばよいのである。
 

余裕のない時ほど余計なことがしたくなるもので

 寝ればいいものを何かに抵抗するかのごとく起きてます。こんばんは。今はまだ書くべき「時」ではないとわかっていながらもこうしているのはなんなんでしょうね。もう8月も終わりに近づいているというのに、手つかずのレポートを残してもう不可でいいかなと思ったり。しかしもう8月も終わりなんですよ、大事なことだから二回(ry 暇過ぎてどうなることかと思った夏休みも半分が消化されようとしています。ここに来て個人的な理由で忙しいというかうまく動けなくなってきているのですが、それまでは外で遊ばない小学生の夏休みでしたね、形容するなら。

 夏休みに限った話ではありませんが、ここまで時間を浪費しながら生きてきてしまったなぁと恥じることが多いです。本当に恥じているならこうやって書きやしないというのがまた問題でありまして。まぁもっとやることあったろうに俺、なんてため息混じりに言っても何ら意味はないことを知ってこうして書いています。それでもこう吐かずにはいられないのは、おいおい自分の中に何も残ってねぇじゃねえか、ということに尽きます。あの頃は今を生きるのに必死、ではなく今を生きることしか頭になかった。過ぎ去ってしまえば何でもなかったのです。やり損ねた、やり遅れたことばかりで、「何かを始めるのに遅いなんてことはない」と言ったりしますが必ずしもそんなことはないと思ってます。時機の重さ、が自分に重くのしかかってきます。もう返って来ない、と思うとただただ暗い。

 思うに、先のことより昔のことを考えることが多くなった時に自分年取ったんだなぁとかもう若くはないんだなぁというような知った口をたたいてしまうのです。今は割と先行きを不安に思ってるという意味でまだ前を見ているのでしょうが。

まとまりのあることを書くのは難しいと痛感した夜

 ゆるふわっと更新していくつもりがすっかり停滞してしまいました。暑さに負けずちゃんと生きております。

 別にプライベートがとても忙しかったとかそんなことはさらさらなくてむしろ逆だったのですが、なんというか、書きたくなかったというよりは書く気になれなかったという方が適切でしょうか。なんでしょう、こう違和感がつきまとう時期っていうのがあるんですよね。よくわからないんですが。

 私は表現者たりえないし、書きたいことがあるわけでもない。人に伝えたいことなんてあるはずもなく。「発信」が苦手な人の典型とでも言うべきでしょうか。半ば諦めのようなものがここから遠ざけているのでしょう。

 ブログほど自分と向かい合うときはないように感じます。何かが白日のもとに晒され、露見するのを恐れているのかもしれません。ただ漠然と。

 それから自己満足に浸るのも怖くなった。そこから醒めるのが、醒めた瞬間が、今まではなんだったんだという気にさせられる。

 なにか自分でルールというか規律を作ってその中でやりたいのです。そうやって自らを檻の中に閉じ込めるようにしていきたいのです。自分本位であるという自覚はありながらも、そうしないとどうも落ち着かない。そこを他人にどうこう言われたりするとちょっと違うなと思ってしまう。うん、自分で書いてて自分勝手な野郎だと思います。多分こういう自分の理屈を通したいというのが僕が社会を怖がったりそこに出たくなかったりする1つの理由なんでしょうな。他人の「意見」なんてそう聞く耳を持ちたくないですし。この根性をたたき直すかどうかで行く末が変わりそうなのがなんとも恐ろしい。

 twitterでこういうような話をしたついでに書いてみましたが、やはり読み手に回るので十分ではないかという思いは拭いきれないようです。でも、こんなノンフィクション?ではなくていつかフィクションを少しばかり書けたら… ちょっとおもしろいかもしれませんね。

ここの話

 さて、コメントを受けてからはめっきり書けなくなってしまったのですが(笑)このまま行くとあっという間に夏休みが終わってしまいそうな気配も感じたので眠気をかき消すように、と言ったら嘘になりますがそんな感じでパソコンに向かっています。
 
 僕が人から見られていると意識した途端に書けなくなってしまうのはなぜでしょうか。以前「ブログ書かないの?」と言われた時もどうしたもんかなぁと思ったものです。なんかこう、圧迫感のようなものを感じてしまうんですよね。

 でもやはり心のどこかでは反応が返ってくるのを期待しているのでしょう。そうでなければ人の目に触れるところで書く意味がありません。嫌なら紙の日記に綴ればいいのです。どうせ僕の書く内容の大半は自分語りなんですから。ブログに限らず、書き言葉は読み手に解釈を要請し、読み手は何らかの反応を返します。それが直接「つまらない」という返答でなくても。また「そこそこ」ちゃんとしたものを書こうという意識も生まれないこともないですよね。

 最近は文章というものに漠然と興味を持ち始めて、とくに人は何をどう書くのか、ということが気になっています。僕は書きながら書く内容を考えていると思っていて、大学の試験でも書きながらその場で思いついたことを行き当たりばったりに書こうと考えていたのですが、ちょっと違う気もしました。書いている途中で何かが生まれたような感覚はありませんでした。それこそ時間制限もあり、何を書いたらいいのかあまり見当がつかない中でちょろちょろっと書いたものなのでそもそも考えていないとも言えるのですが。書くときに何かが変わるのは、それをいかにして相手に伝えるかということであって自分が何を考えているかではない、と。やはり書くからには自分だけが分かってもしょうがないもので、こねくりまわしたって仕方がないのです。というブーメラン。僕はここに思ったことを残したくて、どこかへ消えてなくなってしまうのが嫌で書いているのですが、読んでほしいとも多少なりとも思っているのでしょう。今でこそ独りよがりで自由にのびのびと書いていられますが、そうもいかなくなると難しいと思ったりもするんでしょうなぁ。

 しかし僕は、特にこの場においてはあまり伝えるというようなことに気をつかわずにいました。「そこそこ」といっても別に推敲もしませんし、一読して意味が通るかなんてことも考えていません。かく言う今も勢いでしか書いていないという。相手に伝わるように書こうとすること、こういうところからコミュ障感をなくしていきたいですね。結局そこに話を落ちつけてしまう悪い癖(笑)
 

リア充乙

 木曜は試験の後に飲んでからのクラスで焼き肉、金曜は友人数名と飲みに、土曜は駒場で初会合の後に東大オケの演奏会、というなんとも大学生大学生してる三日間でした。休暇中に三日連続で予定が入るのもこれが最初で最後でしょう(笑)

 今日は初対面の人も交えながら軽く話をしたのですが、いかんせん僕が興味のあることってぱっと浮かぶものがほとんどないものでこの先が思いやられる感じでした。自分のクソさを噛みしめながらも多くのことを吸収できればと思います。

 試験中は特に人と話す機会がなかったのですが、久しぶりに話をするとなかなか楽しいもんです。新しいことも見えてきたりして。僕自身人には無関心な方なのですが、人が考えていることには興味があって、みんないろいろ考えながら生きてるんだなぁと。時に考えすぎだなとも思いながら話を聞いていました。最近はあれこれ考えるのをぱったり辞めてあえてなんとなく過ごしていますがいいのか悪いのか。試験も終わってすごく楽観的になっていいるのですが、とりあえずこの先が若干楽しみではあります。

 こんなゆるふわな感じでちょこちょこ更新していきます。ではでは

気分爽快

 やっとこさ試験がおわりましたこんばんは。一日一殺な感じで順調に、行くはずが、あれれ。。。という事態でしたが、とりあえず謎の肩の荷が下りました。なにがよくなかったかってやはり点数欲しいとかいい点数とらなきゃっていうのがまるでなかったことでしょうか。じゃあ肩の荷なんてないだろって話なのですが(笑)見栄の一つや二つでも張れるぐらいの根性が欲しいものです。

 さてさて夏休みです。大学生になって初の夏休み、丸々2カ月もあります。片づけるレポートが2つほど残っておりますが、それでも今までと違い部活に追われることも受験勉強に追われることもなくゆったり過ごせそうです。時間だけはあるってのが僕の取り柄なんでしょうが、なんでもいいから目標を見据えなければなりません。自分のためになにかをするというのは自分にはこれ以上ないほど困難なことに思えてしまう。典型的ななんとか症候群とかうんたらまでの人みたいだなぁとは薄々気がつき始めました。なにも先を見据えないと人間こうも堕落の一途をたどることになるのかと。年老いたせいか、気合いでなんとかするみたいな発想すらなくなりました。僕がなんとかなると思ってることは大抵なんとかならないってのが定石ですが。それでもやらなきゃって意識が先行してしまうと逆効果なので、自分の気が向いたことを、自分のやりたいようにやれればなぁと。うん。ちょっと立ち止まっておいてかれてる感はあるので。あ、あとアニメ見たいですね。受かったら見たいって言ってて全然見てないです。廃人ですらないなぁ。今思えば受かったらやりたいことってのを何一つやっていないですね。予定ないないって言って構ってちゃんアピールしてる僕ですけども、ひきこもりながらもやりたいことがやれれば言うことないです。
  
 思考の切れ端を残していこうと続けているtwitterですが、ログが3000件?ほどしか残らないようなのでやはり他人の思考の断片、自分語りを見るために使うことになるかと思います。暇なんだしもっと更新していけたらなぁと… あ、こういうことを考えちゃうからやっぱり続かないんですかね(笑)

 
 

深夜にブログ書くとこうなる

その立場で言えることは異なってくると思いますが、今の位置からどう判断を下すかが誠に厄介なのであります。さっき来た見覚えのある道ばかりを通っていて、どうやらだいぶ迷子になったみたい。

僕の目の前に現れているものは、僕には純粋に受け止めることはできない。僕に姿を現した時点で濁ってくるのだ。

今の段階では言葉遊びにふけっている気しかしないので、もっとかちっといくものがやりたいです。嗚呼現実逃避乙。
そっちの方からのアプローチもしたいなと。多分来年じゃ時機を逃すことになりそうだ。