休日

 北の方、といっても大した距離もないお隣の県なのだが、用事があって行くことが多い。中途半端に空が広く、その田舎とも都会とも言い難いどっちつかずな空がどことなく不安をあおってくる。ここにやってくるようになってまだ日が浅く、見慣れない。目線を下にやれば、まぁどうってことはない。少しゆったりしてるかなー程度。とぼとぼ歩いて目的地。そこは改装中で、入り口もとってつけたようなものであるが、中はいかにも新しいといった顔をしている。用があるのは奥の方だ、奥に進むにつれ新しさは身をひそめていく。親近感と失望感、言い過ぎか。

 部屋に入ると、懐かしい気持ちと歯がゆい気持ちに毎度のことながら向かい合うことになる。何事もなさそうなら一安心、何かあれば心配。しかしそれ以上に油断しようものなら自分の愚かさがそれこそ矢のように刺さってくる。この歳で5年前はおろか、10年、15年前のことを後悔するなんてな。まったく。些細な日常の出来事の中に、いかに当時の自分が何も考えていなかったが割と鮮明に思い出される。この後悔から学ぶもの、反省するところは一切ないといってよい、と思っている。自分が今後どう振る舞ったって、その過去の事実は消えるわけではないし、自分の思いを「そうなってほしくない」といって他人に投影して押し付けるのもナンセンスだ。教訓めいたものを何も得られず、何にも生かせない、それでおしまい。だからこそその後悔は一回きりのものとして私に残り続ける―そうであると信じるのではなく疑わず。なんにでもthatをつけてしまえばこっちのものである。そしてまた一つ、自分は何も知らないし、知ろうともしてこなかったことを知る。それならばなおさら、せめて自分の中にあるものくらい、手放さずに済むということはないのだろうか。自分の中にあると思っていた身体感覚や記憶、そういった類の消失というやつは予想以上に手ごわいもので、1なくなっただけでも10ぐらい持っていかれた気がしてくる。取り戻せないばかりか、もう二度と触れられないことがわかりきってしまっていることがただただ恐ろしくて。持っていかれたものはどこへ行くのだろう。代わりに何かやってきたというのかい、悲しみなんてちっぽけなもんじゃあ埋まりっこないさ、僕をなんだと思ってるんだい、もう。

 ここを後にする際はどうもいたたまれない気持ちになる。振り返って見上げて、「よろしくお願いします」と呟く、殊勝じゃあないか。

 このままだとどこまでなくなっていってしまうかわからないという焦り不安と気丈に振る舞うその姿は自分の中では相反するもののように思えて、どこか腑に落ちない。忘れることで自らを守ろうとしているのであれば、甚だ迷惑余計なお世話である。ただ、これは誰しもが通る道で自分はおそらく対処の仕方が下手なんだろうなぁ…そう思いながら家路につく。次の休日に、またここに来れることを信じながら。