10月1日

 と書いておいてもう2日になっているところが自分という人間をよく表しているように思いますがそれは置いといて。
 
 何を思ったかこのブログ、再び始めることにしました。自分の中ではだいぶ間があいた気がしていたのですが、実際は半年ちょっとでそれほどでもなかったかなぁと。何かをしていない、という期間はそれが意図的であるにしろないにしろ割と長く感じてしまいます。

 再び書き始めようと思ったのは、今日が10月1日という本来なら大学が始まるであろうキリのいい日だったからという間接的な理由もあるが、やはり何か変わらないといけない、という予感・迷い・疑いが先細った挙句最も手軽なところで落とし前をつけた、というところだろう。また、なんだかんだ書くことから逃れられなかった、ということもある。それは「書く」という行為それ自体によるものであるかもしれないが、私の自覚している性格であるところの「なかなか始めることはしないが一度始めたことはなかなかやめ(られ)ない」というしつこさ、諦めの悪さ、執着心に起因するものでもあると思う。こうした心境になったのは、ある時期からなるべく考えないようにしていた進学先がとうとう、ようやく、ついに、というより思いのほかあっさりと決まってしまったことの影響は少なからずあるのだろう。だいぶ長い前フリを終えてもうすぐ始まろうとしているのだが、自分の身辺を探ってみるにどうもそのような気がしない。私の思いとは裏腹に物事は進んでしまうもので、大抵は遠くからその様子をぼんやり眺めている。そしてああ遠いなぁ、と独り言。私は大学という場所で、何もしてこなかった、何もできなかったに等しい。私は、ここで書くことを以って始めたい。

 こう言葉にすると何かたいそうなことでもするかのように思えてしまうがまったくそんなことはなく、特別書くことなどない。あっても身の回りのことをあれこれ、それだけのことだ。それがなんだっていうんだ、しかし今の自分にはそのことが割とたいそうなことであるという思いがしてしまう。だからこそ、大袈裟に振る舞って見せる。まぁ単なるその時点での些細な気持ちの動揺とか、そういった類の大したことのないものが原因なんだろうが、気づいた時にはどうしてか前のようにはいかなくなっていたせいだ、それが積りに積もって。傲慢にも何かを失った気にさえなった。そういったことは一番避けていたつもりだった。

 なんで今更(ニュアンスは少し違うが)ブログなんて、という思いもある。今どういう人がこういった媒体で物を書いたり、あるいは書こうとしたりしているのだろう。ブログを日常的にやっている人なんてほとんど知らないし(ぱっと思いついたのが桜雪とか?)、いつの間にか自分も他人のブログを見るということもしなくなった、SNSってやつの浸透によるのだろうか、よるのだろうね。たぶん。だが自分にはああいうところよりもこういうところのほうがいい、と思うのもこれで何度目か。なんとなく、なぜだろう、考えてみるに人の目を気にしないとかそういうことか、単純。twitterでも誰かとコミュニケーションを交わすことはめっきり減ってしまったし、それはできなくなってしまったということかもしれない。しかし他人の目をまったく気にしていないわけでもなく、前からとぼとぼ続けていたものに加筆していくのは若干の気恥ずかしさを伴う。さっぱり新しいものにお引越しするという誘惑も結構あるが、今まで書いてきたものは自分で受け止めていかなきゃね、のような義務感もあり結局こうすることにした。誰も見ていないかもしれないし、誰か見る人もいるかもしれない、そのこと自体は自分にはあまり関係ない。そんなもんだ。

 こんな感じで、毎日なんて書けっこないし、少しずつでいい。肩肘張ることなんてないし、これがなんにもならなくったっていい。そんなのは当分おさらばだ。


 ここまで書いてみて、言葉に鈍感であるなぁという感想。痛感。