既に、もう

 一年間を(半ば強制的に)考えさせられる機会があったが、時期が時期だけに受験のことが脳裏をよぎってしまう。思えば受験に対するコンプレックスを拭いきれず引きずりまわった年と言えるかもしれない。そしてこれは少しずつ形を変えてはいるかもしれないがいまだに自分の中に確固たるものとしてある。消すのではなく、薄く小さくすべきなのだろう。
 大学にいると、自分はなんでここにいるのかなぁという気がしてくる。どうしてここまで来ちゃったのかなぁと。こんなところに。こんなところまで。
 振り返ればやはり私は何かにとらわれ、抗おうとしていた。というより逃れようとしていたと言った方が適切か。この身を取り巻く、その流れに。それはいわゆる「何と闘っているかわからない」状態だったかもしれないし、結果として何の実にもならなかったかもしれない。おそらくそうだ、だれの目にもそうだ。しかしまた、その場で足踏みをしたという事実そのものが自分にとっては何らかの重みをもっている気がしてならない。進んで足踏みをしたということ、これが大きな一歩である認識が、どうしても自分から離れない。時間に追われず、あえて時間を無駄にすることで、十二分に気儘にやれたと思う。ただ、時間が足りないというより時間が遅いというのがどうしても越えられない壁のように立ちふさがっている。こればかりはどうしようもないのだろう。問題は、問題としてそこにあるから問題なのであって、もう過ぎてしまえば、問題ではなくなる。解決する必要はなく、それは不可能かもしれない。
 この一年は異質なものとして、自分の前にある。と思う。似合わないことをしないつもりが、それ自体が似合っていないという転倒は、起きていたかもしれない。よくわからない。回帰していくのかもしれない。そこには暖かいがどこかつまらないもの、がある。という信念。やっぱり面白い方がいい。結局、私は幸せであってきたし、今もそうだ。ただ。一寸先から目をそらしているだけだ。残したいものなど何もないかもしれない。それは、自分の中だけからは生まれえない。多分、一度見た道のはずなんだが、戻ってきたという感じではない。

 朽ちていく中では全てを汲み上げることなど不可能で、そこには諦めがついて回るのだが、そこでまた諦めきれないものが出てくる。今の私は諦めるために生きているというのに。